先日、安曇野シャロムヒュッテに行ってきました。宿から真正面の景色。
雄大な山と草原の中にある自然農の畑も見せてもらったり、実際の生活についてもスタッフの方々からお話を聞けてとても貴重な時間を過ごすことができました。
農作物、食べ物を作るというのは本当にすごいことで、今の成果よりも先々の収穫に向けていろんな計画を実行していかなければなりません。農家さんのお姿はどうしても見えにくい現在ですが本当にありがたいです。この暑い夏も外作業はあるのですから。
水の供給も夏は大変です。
現代、特に都会やお勤めの生活だと「今」の成果を大事にされます。
農作業は、収穫の時期に合わせて日々の作業が大事になってきます。今、イマイチでも毎日コツコツ必要な作業を行い、かつ天候や自然との兼ね合いを柔軟に捉えながら試行錯誤していくことが大切になってきます。
なので今、調子悪くても良いし、そういう時期だな。という割りきりも必要になってきます。ある意味ぼちぼちやっていこか。というのんびりさも出てきます。
もちろんすることはしないといけない、しかも自然は読めない部分もたくさんあるので収穫時にならないと分からない緊張感もあるのですが。
化学的な材料を使うと植物の反応も目に見えて分かりやすいです。
例えばぐんぐん急成長したり、どんどん実が大きくなっていったり。また大きさも粒ぞろい、虫食いも少ない。と、人間的に見ると分かりやすく、収穫も粒ぞろいで多いので達成感は得られやすいかもしれません。
甘みを出す成分を化学で作り、土に入れる、大きく実がなるよう野菜自体を品種改良するなど土や植物自体を人間の都合良く直接変えるためです。
化学は人間の苦労を助けるために、軽減するために生まれたもの。
特に農作業は本当に力仕事ばかりで、毎日草抜きから手入れまで作業の種類も多く、若くても大変なのに年を重ねて毎年行うのはとても大変だからです。
なので必要な作業をしつつも負担が軽減され、収穫も増え喜びが生まれやすいように化学のおかげで農業は変化してきました。そしてスーパーに沢山の食材が並ぶこともできるようになりました。スーパーの数を考えてみたら尚のことえらいことです。
結果や作業軽減を重視するあまり、そのしわ寄せが人間の身体への影響が心配されつつもあります。人間を助けるために生まれた化学はビジネスと結びつきすぎると、実際の現場やその作物を食べる人々のことを忘れがちになっている傾向も感じます。
実家が園芸の農家でもあるので、この部分はわりと早い時期から興味のある分野でした。調べれば調べるほど残念な気分になることもあります。
しかし、その化学の部分が一体どれだけ人々に影響を与えているかは結局のところ謎です。データはあっても結局そのテータを取る時の基準もばらばらですし。個人差もとても大きい。そして使っている当事者に目に見えた影響がなくとも、未来の世代へも影響があることもあると個人的には思っています。
人それぞれの基準があっていいと思うのです。
その人の基準を持つことが一番大事。池上彰さんが芸人さんに指摘したように。
「得だけ重視、あとは知らんふり」ということに関わることを減らしていきたいと個人的には思っています。得することは良いんですけど、知らんふりが嫌なんです。
それが身体に影響があるかもしれない。しかも農作業をされてる方々や新しい命にも影響があるかもしれないって。なんだかおかしくない?と私は思うのです。
土と水は繋がっているので、井戸水、川、海などにもダイレクトに影響がいきます。想像してみるということがなによりも大事なのかもしれません。
地球に住んでいる限り変化と影響は必ずあります。
何かをしたら何かが変化する。