<香・音・灯>感じる声の瞑想会 端午の節句編の様子です。
今回はこじんまり、しかし菖蒲とヨモギの蒸気にしっかり包まれた時間。かなりすっきり感の強い禊ぎのような会となりました。皆さんお帰りになった後ぐっすり眠りに就かれたのではないでしょうか。私は泥のように眠りました(笑)
菖蒲の香りはそんなに強いものではないのですが、ミョウガやショウガに近いようなすっきりした香りです。その菖蒲とヨモギを合わせることでパワフルな浄化力の強い香りになります。気分は田植え前の早乙女の気分です。
精油ではなく生きた植物そのものからの香りはとても儚く、青みや自然な粗さの混じったその香りは生命力のような強さを感じることができます。
YUKTAの庭や河川の草花を合わせて各々ご自分の薬玉も作っていただきました。
シンプルに草花をまとめたものですが、五色の紐で束ねることでしっかりお守りのような薬玉に。
昔の女性たちもわいわいしながら、しかし健やかに過ごす祈りも込めつつこういった手作業を行っていたようです。
薬玉はお持ち帰りいただき、お好きな場所に飾っていただきます。
昔は軒に吊るしていたそうです。
菖蒲とヨモギを使うこと以外決まり事は無いので、一人一人植物の組合せの個性が出て出来上がりをみんなで眺めるのも大変楽しい時間でした。
日常の中で「何かを作る」「手を動かす」ことは発散や達成感にもなりすっきりするもの。こういった作業の大切さにも気づかされます。
キャンドルを作ることもこの発散に繋がっていますが、もっと身近に、もっと誰もができる作ること、手仕事はただの作業ではなく、女性が表現すること、表現による感覚的に素直な自分を出すことで生きることの充実にも繋がっていたと思います。
こういった誰もが何かを作る。それも自分のために。
その機会を増やすことは人々のストレス発散に繋がる気もします。
端午の節句は男の子の日ということが定着し、女兄弟しかいない私は今までそんなに意識したことがありませんでした。
お恥ずかしいですが、香りを楽しむ菖蒲も花菖蒲と同じものと思っていたくらいでして。けれど改めて日本、というよりたぶん世界各国の人々、女性が古代から行ってきた生きるための知恵を体験ような時間でした。
女性は気分や身体に変化の波があるもの。
その波を生活の色んなところで発散したり調節したりできるように工夫することの1つに女性の手仕事や節句の節目の行事があったようにも思います。
それは家族や村、部族が生き残りやすく、過ごしやすさにも繋がり、それは子孫を残すための1つの大事な要素とされたのかもしれません。
この現代では個人個人の生活が多様化し、互いの生活の視点や価値観が分かりにくかったり、共有しにくくなってきました。
けれど手を動かすことの表現による発散は人間だれもが持っている本能に近いもののようにも感じます。
ついつい情報だけを頭の中でこねくり回してしまいやすい現代。
それは堂々巡りのしんどさを孕みます。
手を動かすこと、身体を運動させること。
実は心身の調整にとても大切なことなのかもしれません。